1. 開業前後


 遡ること1888年、明治丸によって数名の調査団が瑞霞諸島に上陸し、島の調査、開拓が始まりました。

 1889年、勅令により、瑞霞諸島は島名を「瑞島」、「霞島」、「果最島」と命名し、当時の東京府小笠原島庁に編入されました。

 少し時がたち、1906年、日本国は日露戦争を受け、太平洋の拠点となる瑞霞諸島に海軍工廠を設置することを決め、その場所が果最島となりました。

 そして1907年、果最島海軍工廠が開設されました。工廠の資材輸送に際し、工廠周辺の各工場から部品を集め、それを工廠に移送するための手段として、同年に瑞霞電鉄の前身である果最島人車軌道が開業(瀬野井~工廠間)しました。

5. 研究学園都市計画


 1979年、お国は先進的研究学園都市を造ることを決め、5年後の1984年に瑞霞諸島に決定しました。それからは一部住民の反対運動が起きましたが、多くの島民は諸島外へ人が流出し、徐々に衰退していく環境にあったため、この知らせを好意的に受け取る島民の方が多かったようです。

 1994年、お国より研究学園都市計画が発表されました。これには瑞霞内海に人工島を2島建設し、人工島への交通手段は鉄道、船、乗合自動車を用いて移動する計画も盛り込まれました。

 本来は人工島へ通ずる交通手段は鉄道のみとしていましたが、1両の長さが短い瑞霞電鉄では輸送力が到底足りないため、他の交通手段も用いることとなりました。

 この際に、思い切って大型車両を導入してはどうか、という意見が出ましたが、検討を重ねた結果、現状のままの設備を使用し、両数や運行本数の増加でたいおうすることとなりました。このときに、将来の6両編成化に向けて様々な工事が行われています。

 調査が終わり、本格的に研究学園都市の整備が始まったのが1996年です。瑞霞電鉄も新線建設に伴い、お国から大量の補助金を融資して頂きました。この頃から瑞霞電鉄は補助金の美味しさを知るようになり、事あるごとにお国から補助金を頂くようになりました。